【研究と性格】 大雑把な人
断言します。大雑把な人は研究が進みません。
ここまで断言できるのは、私が相当大雑把な人間で、全然研究が進まなかったからです。今でもプライベートではだいぶ大雑把です。。が、こと研究に関してはこの性格を直しました。大変でした。。
本題です。何故研究が進まないかと言うと、大雑把な人は「自分が出すデータを自分が信じられないから」です。
それでは、実験に失敗した大雑把な大学4年生と指導教員の典型的なディスカッション例を見てみましょう。
教員「水酸化ナトリウムは何g量り取ったんだい?」
学生「多分、1.20gです。」
教員「多分ってなんだよ(イラっ)」
学生「急いでいたので。。1.20gくらいでしたけど、静電気が今日はひどくて、ちょっと天秤の数字がブレていました。あと、フラスコに移し替えるときにちょっとだけこぼしちゃいました」
教員「そのまま実験進めたわけじゃないよな?(イライラ)」
学生「あんまり結果に影響ないかなと思って進めました…。(やばい怒られそう)」
教員「それじゃ考察できないじゃないか。。まあいい、水酸化ナトリウムはたしかに影響は少なそうだし。反応の温度は何度だった?」
学生「…多分、40℃です。」
教員「多分?(イライライラ)」
学生「水浴の温度設定を40℃に設定したので。。」
教員「温度計は差さなかったんだな?(イライライライラ)」
学生「はい。。」
教員「正確な温度もわからない、量った量もわからない、ということね。もう考察は不可能だから、もう一回丁寧に実験やり直してくれる?(イライライライライラ)」
こんな感じでしょうか。いやー昔の記憶が蘇って変な汗が出ますね。。
基本的に研究のディスカッションで「多分」という言葉はあり得ません。考察の最後とか、何らかの仮定を置くときくらいです。実験手順に「多分」が含まれちゃうと、考察のしようがありません。大雑把な人はこれだから研究が進まないわけです。
このケースは実はまだ良いです。実験が失敗しているので反省出来ています。
問題は大雑把にやったけどうまくいってしまった(望みの結果が出てしまった)時です。この場合このような反省は行われません。そして、実験ノートには嘘の記載が後年まで残されてしまいます。
数年後に勤勉で丁寧な後輩学生が、この嘘ノートを忠実に再現して実験したとします。しかし、うまくいきません。なぜならノートが嘘だからです。
大雑把な人の実験は後世にまで悪影響を及ぼしてしまいます、恐ろしい。。
ちなみに後輩が失敗する分にはギリギリセーフです。問題が研究室内にとどまるからです。
更に悪いのは、大雑把な実験データが論文として世に出回ってしまうことです。この場合、研究にある程度のインパクトがあると世界のどこかで追試されます。
そして、うまくいかなかった場合には「あの研究室の出す論文には嘘が書いてある」という評価がついてしまいます。教授の顔に泥を塗ることになりかねません。
ですから、大雑把な性格の人は必死で直しましょう。
とはいえ、20年間培ってきた性格というのは簡単には直せません。
わかっているのに、丁寧にやらないとダメなのに、不思議なもので雑に実験してしまいます。そして大失敗をします。
わたしは研究室入って1年近く雑な実験が改善しませんでした。それほどに性格を改めるというのは難しいです。
私は↓こんな感じでなんとか直せました。
① まず、「自分は大雑把なんだ。研究に向いていないんだ。」と自覚する。
② 朝研究室に着いて「今日は実験面倒くさいな」という感情になったときは注意する(雑にやってしまう前兆です)
③ 実験中は「リトル自分(≒リトル本田)」が見ていることを意識する。自分に嘘をつかない。
④ 一日の終わりに日記を簡単につけて、反省する。大雑把にやってしまった部分があったら深く深く反省する。
地味で地道ですが、自覚さえできれば雑な実験はいつか必ず改善します。
実存主義の大家サルトルも言っています、「実存は本質に先立つ」。
頑張りましょう。
研究が進まないのは誰のせいでもありません。自分のせいですよ。
♬ みんな そそのかされちまう
ついつい 流されちまう
結局暑さで まいっちまう
誰のせい?それはあれだ!
夏のせい ♬